がんという病気を理解しようとする人たちは古代からおり、悪戦苦闘が繰り広げられてきた[7]。
(上述のごとく)cancerという言葉の歴史は古いもので、古代ギリシア語のkarkinos カルキノス(=カニ)に由来している。
あちこちに爪を伸ばし食い込んでゆく様子を、その言葉で表現したのである。
がん研究、腫瘍学を指す「oncology」という言葉も、古代ギリシア語のoncos オンコス(=塊 かたまり)を語源としている。
古代ローマのガレノス(2〜3世紀ごろ)は、がんは四体液のひとつの黒胆汁が過剰になると生じる、と考えた。
(ガレノスというのは1500年ころまでは、医学の領域で「権威」とされた人物である)。
ガレノスの後継者のなかには、情欲にふけることや、禁欲や、憂鬱が原因だとする者もいた。
また同後継者には、ある種のがんが特定の家系に集中することに着目して、がんというのは遺伝的な病苦だ、と説明する者もいた。
18世紀後半をすぎるころになると、がんの一因として環境中の毒(タバコ、煙突掃除夫の皮膚につく煙突の煤、鉱坑の粉じん、アニリン染料が含有する化学物質 等)もあるのでは、とする説が、多くの人によって提唱された。
19世紀なかごろに、フィラデルフィアの名外科医のサミュエル・グロスは「(がんについて)確実にわかっていることは、我々はがんについて何も知らない、ということだけである」と書いた。
そして、そのような「何も知らない」という状況は、19世紀末の時点でも、ほとんど変わっていなかった。
その後1世紀ほどを経た現在、がんについてある程度のことは分かったと言える状態になった。
だが、その理解は一気になされたわけではなく、理解を進めるたびに研究者の間で新たな疑問が登場し、科学的な知識が徐々に増えてきた、という状態なのである。
がん研究は研究者たちにとって、多くの困難と挫折に満ちたものであった。
20世紀初頭には、「感染症は特定の微生物によって引き起こされる」という説を支持する例が実験によって多数確認されため、他の病気も容易に解明されるだろうと考えたり、がんも解明されるだろうと予想する人は多かった。
だが、そのような予想は安易すぎたのである。
●がんに関するウイルス説を巡る歴史
「がんは感染症ではない」とも考えられていた。
というのは白血病など、患者から家族や医療関係者に伝染することがないためである。
だが、動物(の個体)からとった腫瘍を他の動物(の個体)に移植すると癌が誘発されることが判った19世紀末以降は、がんにも感染性の病原体があるのかも知れないと考える人も出てきて、彼らは20世紀初頭までに、原生動物・バクテリア・スピロヘータ・かびなどを調べた。
それらの研究はうまくゆかず、がんの原因に感染症があると考える諸説は信用を失いそうになった。
だが、ペイトン・ラウスが腫瘍から細胞とバクテリアを取り除いた抽出液をつくることを思いつき、それを調べれば細胞の他に作用している因子が見つかるかも知れないと考え、ニワトリの肉腫をろ過した抽出液を健康なニワトリに注射し、その鶏にも肉腫が発生するのを実験によって確認し、その腫瘍は、微小な寄生生物、おそらくウイルスに刺激されて生じたものかも知れない、とした。
当時はウイルスの正体は分かっておらず、「…でないもの」という否定表現でしか記述できなかった。
科学者はがんが感染するという実験的事実から、未知の病原体が存在するであろうことにも気付いたのである。
その後ウサギでも同様の実験結果が得られたが、腫瘍を伝染させることに成功したのは主にニワトリ(やウサギ)の場合に限られていたので、やがて、がんの一因にウイルスがあるとする説は評判が悪くなってしまい、これを支持する科学者は評判を落としてしまいかねないような状況になった。
異端の説だと見なされ、疑似科学者扱いされかねない空気が科学界に蔓延したのである。
ジャクソン研究所(英語版)というのは、1929年に設立された組織で、今日では基礎医学研究用の規格化マウスを供給する組織として米国最大のものだが、その研究所での がん発生研究のプログラムというのは、「問題は遺伝子であって、ウイルスではない」という前提のもとに行われていた。
だが、同研究所のジョン・ビットナー(英語版)が、マウスのある種のがんは、母乳中の発がん因子が授乳を通じて子に移される仕組みであるという、ウイルスが関与しているという証拠を偶然に発見した。
だが、当時の科学界は上述のようにウイルス説を異端視していたのでビットナーは躊躇して、それを「ウイルス」とは呼ばず、あえて「ミルク因子」と呼んだ。
ルドウィク・グロス(英語版)も、ウイルスが癌の原因になることがあることを、マウスの白血病がウイルスによってうつることを示す実験を行うことで確かめ、それを発表・報告したのだが、がん研究者の大半はその報告をまともに受け取らず、データ捏造をしているのでは、と考える者すらいた。
今流に言えば、ワシントンにある研究公正局に出頭を求められかねないような扱いをされたのである。
アメリカ国立癌研究所が設立された時期、公衆衛生局局長の諮問委員会は、がんの原因としてウイルスは無視できると結論づけた(結論づけてしまうような有様だった)。
「《ミルク因子》というのは、ウイルスだ」と解釈することを科学的なこととして認め、ウィルス説を科学的にまじめに検討すべきだ、という認識ができてきたのはようやく1940年代末のことだった。
状況を変えた人物はジャコブ・ファース(Jacob Furth、1896-1979)[注 1]であった。
ファースはすでに高名な科学者であったが、その彼がグロスの実験を、それに用いるマウスの種類まで正確になぞることで、実験に再現性があること、そして事実であることを証明した。
それによって基礎医学者たちがようやく、悪性腫瘍にウイルスが関与することがあるということを理解するようになったのである。
かくして、長らく異端者のように扱われてきたペイトン・ラウスは、1966年に85歳でノーベル医学生理学賞を受賞した。